知り合いがいない土地での暮らし
ここ最近、夫との間の雰囲気があまり良くなかった。ぎくしゃくしてるなぁ、と思いながらしばらく生活していたら、ついに夫に苦言を呈されてしまった。
夫に言われたのは、山梨に馴染むよう努力して欲しいということだった。夫の休みは平日で、平日は大体私が仕事を早く終わらせて一緒に出かける。それはいいのだけど、私が在宅勤務をしている都合上、夫はちょっとした時間すら1人になることがない。
都会だったら、近所に漫画喫茶だのカフェだのが沢山あって、夫は休日にふらふらとそういうところに出かけていた。
でもこの辺りにはそうした施設がないので、互いが用事で家を空けでもしないと、リラックスして1人になることができないのだ。
そう思わせてしまったのは申し訳ないし、確かに朝から家で仕事をし、夕飯を夫と食べて寝るまで一緒、買い物すら食材を仕事帰りの夫に買って来てもらう状態、というのはじつに良くない。
早速、ある掲示板のようなところに書き込みをしてみたり、わりと近所のコワーキングスペースのようなところに問い合わせをしてみたり、動いてみた。
今日は、講習を受けてそのままになっていたトレーニング施設にも行ってきた。
東京にいるときは週3〜4回ジムに行き、マジメに鍛えていた。(全然痩せないけど…)あの時のような筋肉ライフを再開できるよう、頑張ろう。
相手が不満に思っているというのはショックだったけど、言ってもらえて良かった。
知らない場所で暮らすというのは、私にとってかなりストレスだ。
知り合いが1人もいない場所に引っ越したことは、かつて高知と京都という2つの街で経験があるけど、小学生の時と大学入学時だったので、学校という強靭なコミュニティがあった。
今は在宅ワークというスタイルなので、それが逆に足枷になっている感じがする。全国的に見れば、最先端の働き方をさせてもらえているわけで、もちろん非常にありがたいのだけど…。
でも、もし私が夫の転職についてきた「主婦」だったら、これからパート探しなんかをしてコミュニティに溶け込めたかもしれない…と時々思う。学校や職場というコミュニティは本当に偉大だ。
私の場合、出社したとしても社長と2人きりなのでかなり寂しいといえる。
この辺りに関してはずっと孤独感があるので、もはやそういう星回りなのかなぁと思う。
とりあえず、ネットを通じてだけどやりとりする人が出てきて、本当に良かった。
9月までは週末に東京にいなければならなかったので慌ただしかったけど、しばらくは山梨で週末が過ごせる。
この期間に、山梨にいることを当たり前にして、家やこの辺り一帯を、過ごして心地よいと感じられるようになりたい。
山梨での生活はまだ日常じゃない。
リラックスして過ごせる、愛おしい場所になったらいいなぁ。
二拠点生活に至った経緯 その3
山梨か長野での就農に焦点を絞ってから、夫が「南アルプス市での地域おこし協力隊」の募集を見つけた。それまでぼんやりとしか知らなかったが、地域おこし協力隊というのはお国の作った制度で、都会と言われる都市の人をターゲットに絞り、いわゆる田舎への移住を促進させるためのものらしかった。
場所によって給与や条件などは違うようだが、南アルプス市の場合、給与は16万6千円で家賃補助が4万3千円、そして軽トラが支給されるとのことだった。(車はリースで、リース代は給与から天引きとなるが、ガソリン代や車検代等維持費はお国持ち)
しかも勤務先は観光果樹園とのことで、醸造用ブドウではないもののブドウ栽培は行っているし、副業もOKとのことでこれいいじゃん!と早速問い合わせていた。
長野県の就農相談会で聞いていた、塩尻市での2年間の研修制度も候補に入れてはいたのだが、家賃補助がなく地域おこしよりも給与が低いこと、車も買わなければならないことから、やはり南アルプス市かなぁ、となった。(こちらは独立を見据え、2年の間にみっちりブドウ栽培の研修を行ってくれるもので、研修内容的には素晴らしいものだったのだが…先立つ物ゼロなので断念。)
受け入れ先の果樹園と連絡を取り、6月頃夫は3泊4日の研修に旅立った。
研修先にいる夫からは山や果物の写真が送られてきて、東京とは全く違う風景に新鮮な気持ちになった。また、果樹園には泊まり込みで農業を手伝いながら日本滞在を楽しむ外国人観光客もいるようで、「泊まる部屋がカンボジア人とフランス人とイギリス人と同室やったやで」との報告に、少々国際派の私はとても羨ましく思ったりした。
たくさんの桃とさくらんぼを抱えて研修から帰ってきた夫は、「やっぱりここに決めたやで」と報告してくれた。
南アルプス市の地域おこし協力隊は募集を出して半年も経つのにまだ人材を確保できていなかったようで、かくして夫は8月1日から地域おこし協力隊として南アルプス市に赴任することになったのだった。
二拠点生活に至った経緯 その2
彼が会社を辞めて失業保険ライフに突入すると、みるみるうちに元気になった。
そして、それまで週休1日であくせく働いていた分の休日を取り戻すかのように、家でのんびりしたり、近所を散歩したり、定年退職したお父さんのように気ままに過ごすようになった。一般的な定年退職のお父さん像と違っているのは、家事をほとんど引き受けてくれたことだろうか。毎晩帰ると美味しい晩御飯ができているので、ジム通いが非常にはかどった。
平穏が訪れてほっとしたのもつかの間、気になるのは次の進路のことである。
確か最初に聞いたのは、四ツ谷だか神楽坂だかで行われたワインのイベントに2人で出かけている途中だった。「おれそろそろ田舎でブドウ作りたいやで」と。
次の仕事も東京に違いないと思っていた私は、正直目の前が一瞬白くなったような気がした。でも、出会った時から「ブドウが作りたい…」とうわごとのように繰り返していた人だったので、「時が来たのか」とすぐに思い直すことができた。
「田舎でブドウ」。
一体どうなってしまうのか、と思ったけど、彼の方は結構地に足をつける感覚で考えていたようで、遠くの町ではなく、私の仕事を考慮して都内からさほど離れていない場所を拠点にしたいと言ってくれた。
確か山梨県がワインの生産量日本一だった気がするけど、そんな山梨と、同じく日本ワインが多く作られている長野が東京の近くにあって本当によかった、と思った。
それからは、気ままに過ごしながらも情報収集を始め、ワイナリーの合同就職説明会や、長野県の就農イベントなどに一緒に参加をした。
ブドウというのもそもそもワインが大好きでワイン作りに関わりたかったことから、初めはワイナリーでの就職を考えていたけれど、農大出身でないと厳しかったり、未経験であることから書類を送るもばんばん落とされてしまい、徐々に山梨か長野で「ブドウ農家」をやることにターゲットを絞っていった。
そしてその頃(2018年4月)、私たちは入籍した。
彼の方は金もなければ職もないけれど、頑張っていこうと。
(個人的には、もちろん金も職もある方がいいとは思うけど、今なくったって、結婚してもいいと思う。「養うためのお金」とか「自信」とかを待っていて婚期を逃す方が、もったいない。「結婚=幸せ」かどうかは別にして。)
親戚にもらったお祝いをかき集めて新婚旅行に行ったら、その広大な大地と独特なテロワール(笑 よく知らんけど)に彼は感動して「やっぱり北海道にするやで」と言い始めるほど心を動かされてしまって、とても焦った。
が、帰宅後一生懸命関東に留まる方へ意識を促し、またのんびりとした日々が戻ってきた。
往復生活真っ只中ナウ
不器用なので、経緯や色々を書こうと思うと、現状のことが書けなくなってしまう。
これは自分の為の記録的要素が強いので、今の過ごし方についても書いておきたいと思う。
8月末からようやく往復生活が形になってきて、今は基本南アルプスで、毎週金曜〜日曜まで東京にいるという生活。
というのも、7月から9月の3ヶ月間、コーディングの講座に通っているため。。どっちみち月に何度かは出社もしておきたいし、講座も勉強になるので、充実している。
そして何より、東京に居られるというのは山梨にまだ友達がいない自分にとっては大きな慰めになっている。
ただ、この生活は結構肉体的にストレスでもある。当たり前だけど。
特に今は休みを移動と勉強に充てているので(友達と遊んでもいるけど)、土日に休んだ気がしないというのは結構キツイ。
今週は3連休だったので1日は山梨で過ごせたけど、普段は金曜早朝移動→仕事→土曜勉強&遊び→日曜移動 という感じなので、我に返ったら休みがもう数時間で終わる…という感じ。
でもまあ、山梨での仕事は在宅だし、実働でいえば5時間程度でOKにしてもらっているので、逆に平日にリカバリーしている感じだ。(本当に恵まれていると思う。)
この生活ももうあと2週間でおしまい。
講座が終わったらとりあえず2週間程度は山梨でゆっくり過ごして、出社や東京での用事・遊びは少し先にしておきたいかなぁ。
とりあえず今の往復生活の状況はこのような感じだ。
二拠点生活に至った経緯 その1
私は東京が好きだ。
香川県で生まれ、京都で学生時代を過ごし、大阪で就職し、転勤で2015年から東京に住むことになった私にとって、四条河原町や梅田・なんばのような繁華街が数えきれない程格納されている東京という都市は衝撃だった。
どこに行っても目新しく、便利で、深夜まで遊ぶことができる。特に知らない人と知り合うのが好きな自分にとっては、飲み屋、勉強会など様々な場所で刺激を受ける出会いがあり、一気に魅了された。
こんなに楽しい東京を離れる気なんて全然なかった。
しかし、きっかけは夫の職場の不穏な動きによってもたらされた。
今年2月頃、都内のレストランでソムリエをしていた彼が、勤務を終えて深夜帰宅し、私の布団の前で正座をしてこう言った。
「今の店辞めよう思うねん。
言えへんかったけど、実は先月の給料まだもらえてないねん。」
私は驚き、詳しく事情を聞いた。
彼の話によると、彼の勤めているレストランは元々不動産会社の運営によるもので、そちらの経営不振により飲食事業部にも余波がきているとのことだった。
後になって、その不動産会社がシェアハウス「○ぼちゃの○車」事件に関わっていたことから、億単位の損失を出していたということがわかるのだが…。
それからも彼は勤務を続けていたが、何日経てども払われない給与と、その事について本社に問い合わせても部署をたらい回しにされてきちんと答えてくれないという姿勢に腹を立てて、ついに行くのをやめてしまった。
3月に入ってからの彼の落ち込みようはすさまじく、毎日眠れない、食事はほとんど取れないわでひたすら布団にくるまっていた。
彼に戦闘力はもう残っていない、しかし、一生懸命働いた給料がこのまま払われないのはすごく困る。
というわけで私はネットの情報を頼りに内容証明を作って本社に送ったり、彼の代わりに社長に直接電話をして金を払うよう促したりした。
さすがに電話は効いたようで、「3月30日(内容証明で示した期日)には必ず払います」と社長の言質を取り(一応録音)、30日が近づくにつれ膨れ上がる不安感に2人で耐えながら、その日を待った。
ダメだったら調停にするしかない、とまで覚悟していたが、約束の30日、彼が汗水流して稼いだ給与はかくして無事口座に振り込まれたのだった。
不安定な会社でこのまま働き続けるわけもなく、彼は会社都合で退職。それから約3ヶ月、悠々自適の失業保険ライフを送ることとなった。
そして実はこの時私たちはまだ未婚だった。無職どまん中の時期に晴れて夫婦となるのだが、またその顚末は別の記事に書こうと思う。